最後に「ポルノの存在被害」について見てみましょう。これは、たとえポルノが頒布されなくても、それが誰か(とくに悪意のある誰か)の手中に存在し続けているだけでも生じる被害です。図画や電子媒体として記録に残るというポルノの特徴は、このような被害をももたらすわけです。
制作被害物の単純所持
制作被害を通じて制作されたポルノは、たとえ社会的に流布されなくても、消費者や加害者の手中に存在し続けることで被害を生み続けます。たとえば、暴行・脅迫によってポルノが撮影された場合、あるいはレイプの際に犯人によってビデオや写真を撮られる場合を考えてみましょう。
その行為はまずもって撮影された個人に甚大な「制作被害」を与えています。けれども、ポルノ被害はこれにとどまりません。この映像がレイプものポルノとして販売されたり、あるいはネットを通じて公開された場合、「流通被害」という新たなポルノ被害が生じます。しかし、これでもまだポルノ被害は終わりではありません。このような流通・頒布がなされなかったとしても、その映像が消費者や加害者の手中に存在し続けるだけで、ましてやそれが性的な快楽のために使用されたり、その可能性が想像されるだけで、被害者は恐怖と恥辱とを感じ続けるでしょう。
それはちょうど、児童ポルノがたとえ頒布されなくても、それが観賞用として消費者の手中にあるだけで被害を生み続けているのと同じです。暴力や脅迫や盗撮やその他の人権侵害行為を通じて制作されたポルノは、児童ポルノと同じく、消費者や加害者のもとで存在し所有されているだけで精神的被害を生み続けるのです。
脅迫手段としてのポルノ
単に個人観賞用として所持されるだけでなく、それが積極的に、被害者に対する脅迫やいやがらせの手段として使用される場合もあります。
たとえば恋人同士が、付き合っているときに双方の同意のもとで性的姿態や性行為が撮影され、2人が別れた後に、その写真やビデオが一方的に流布された場合には「流通被害」を構成します。しかし、たとえ実際に公開されなくても、それを示唆されるだけで、十分に被害者は恐怖心を感じます。いつ自分の裸体や性行為写真が流布されるかもしれないとの不安を感じることで、被害者は安心して生活する権利、正常な日常をお送る権利が奪われてしまいます。
被害者が18歳未満の女性の場合には、この主の事例は児童ポルノ禁止法違反としてしばしば事件化されていますが、被害者が成人である場合、明確な脅迫的言辞がなされているのでないかぎり、何の罪も問われません。そのため、多くの女性がこの被害で苦しんでいます。
制作被害物の所持がもたらすポルノ被害がクローズアップされた事件が最近ありました。2010年にオイルマッサージ店を利用した女性客を店主が暴行し、その模様をビデオに撮っていたとして逮捕された事件では、犯人側は弁護士を通じて被害者側にビデオの存在をちらつかせて「示談に応じれば処分する」と持ちかけていたことが公判の中で明らかにされました。被害者側は、このビデオの処分も裁判所に求めていましたが、2015年12月の判決は、被告に有罪判決を下すとともに、証拠品でもあったこのビデオの原本を加害者に返却せず(通常は裁判が終われば返却される)、没収するとの正当な判断を下しました。
この事件は氷山の一角です。埋もれたままである「存在被害」はまだまだ多数あると思われます。
ポルノ被害の多様性
以上見たように、ポルノはその制作から始まって、その流通と消費、その存在にいたるまで、実にさまざまな被害を生み出していることがわかります。ポルノ被害は、ドメスティック・バイオレンスやセクハラと匹敵するかそれを上回るほど蔓延している性被害です。そして、ここで挙げたものは、あくまでもポルノ被害の中の代表的なものであり、インターネットや技術の発達ともに、絶えず新しいポルノ被害が生み出されています。これは重大な人権問題です。
このような大規模な性被害に政府や社会が真剣に取り組む必要があります。私たちは、このポルノ被害の克服に向けて具体的な提案をしています。「被害をなくしたい方へ」のページをご覧ください。