『ひとはみな、ハダカになる。』の回収・絶版を求める要請書(全婦連)

 理論社の中学生以上を対象とする「よりみちパン!セ」シリーズの中で、昨年、『ひとはみな、ハダカになる。』(バクシーシ山下著)が出版され、私たちはこれを読んで愕然としました。

 この本の著者、バクシーシ山下の監督によるアダルトビデオ(以下AV)「女犯」シリーズ(1990~1991年制作・販売)は、AV人権ネットワークという市民団体から「犯罪の実録では?」として抗議を受けています。またAV撮影の現場というものをよく知らない女性が暴力AVに出演して「身も心もズタズタにされる」実態をAV業界内部から告発した元男優のK氏は、ポルノ・買春問題研究会のインタビュー(2000年)に答えて、「特にバクシーシあたりのものに出たら(女性は)人間不信になったり、男性不信になったりする可能性もあります」とバクシーシ山下を名指しで糾弾していました。

 「強制子宮破壊」シリーズなどの撮影で女性を集団強姦して傷害を負わせたため、2005年に関係者が逮捕・起訴され、有罪判決(懲役3年6ヶ月から18年)が下されたバッキービジュアルプランニング事件は、間接的にではありますが、山下の撮影の暴力性を端的に示しています。 AV撮影と称した集団強姦現場を指揮した被告の1人であるディレクターは、この刑事裁判において「レイプ作品で一世を風靡したバクシーシ山下という監督は、よく逮捕されなかったと思うような作品である『女犯』を作っていたが、それを見て、すでにこれだけのものがあるのだから、私はどうしてもそれを超えたかった」という趣旨の証言をしています。このようにバクシーシ山下とは、女性を客体化、モノ化し男性の暴力下においた映像を”ウリ”にしている人物です。

 このような、レイプ強姦AVを得意としてきたバクシーシ山下が、子どもたちに向けて書いたのが『ひとはみな、ハダカになる。』という本です。この本を置いている自治体の図書館の検索では、次のようないくつかの共通した紹介文が使われています。

子どもがセックスを知ることに眉をひそめる大人がいる。でも、セックスとかかわりなく生きていくなんて、不可能なんじゃない? アダルトビデオをめぐるはなしから、人がハダカになることをセキララに、かつまっすぐに考える。

「アダルトビデオ」って知っていますか? はだかの女の人やはだかの男の人、その人たちがセックスしているところが映っています。そこがどんな世界で、どんな大人が関わっていて、どんなことが行われているのか。アダルトビデオをめぐる事柄や物語から、ひとがハダカになることについて、まっすぐに考えていきます。

 AVに対する子どもたちの好奇心を喚起する紹介です。また、この本の記述には、「だれでも」「ふつう」という表現が繰り返し使われており、子どもたちがこの本を読むことによって、バクシーシ山下のビデオの世界が抵抗なく入っていけるものであるかのように感じ、たとえば巻末に紹介のあるバクシーシのビデオ「女犯」を「見てみたい」と思ってもまったく不思議ではありません。

 私たちはバクシーシ山下のビデオ(女犯2)を視聴してみました。それは予想をはるかに超えて、まさに凄惨な性暴力、性犯罪そのものの実写であると感じました。ひとりの女性が、AVに出演することがどんな実態を意味するのか分からず、騙されたに等しい状況で撮影され、拒絶しているにもかかわらず、凄まじい暴力と脅迫により輪姦されていくあり様は、視ている私たちの精神を尋常な状態に保たせることを不可能にしました。

 大人である私たちでさえも、身体症状が出るほどの心理的外傷を受けました。人格的に、性的に成長の過程にある子どもたちが、もしこの映像の暴力性に無防備にさらされたらどうなるでしょうか。性暴力・性犯罪の凄まじい現場を映像で見せられる衝撃が、子どもたちに深刻な影響を与えないはずがありません。児童虐待防止法では、家庭内で暴力を見て育つこと自体も、児童への虐待であると規定しています。この本を読んだ子どもが、バクシーシ山下のAVに興味を抱きそれを見たなら、虐待を受けた場合に匹敵する深刻な、心身に対する被害を受ける可能性が非常に高いと言わざるをえません。

 今回の要請書で私たちが問うているのは、山下の映像が実写であるのか、演技であるのか、ではありません。女性をどのように扱っているか、その扱いが発しているメッセージの文脈や意味を問うています。山下AVは、複数の男性に取り囲まれた女性を男の圧倒的な暴力の元に無力化した挙句、いたぶり、陰惨な残虐行為を加えることを映像という形で商品化しているところにその特徴があります。だから、映像は最初から最後まで、女性をいかにいたぶるか、いかに残虐に扱うかに”工夫”がこらされています。女性を人として扱わず、女性の人格とその肉体を徹底的に侮蔑的・暴力的・破壊的に扱い、かつ、このような女性の扱い方と扱われ方を、視聴者の娯楽として提供しています。これは女性に対する重大な人権侵害です。
あなた方理論社の方々は、ご自分の子どもたちがこのような山下AVを視ても良いと考えますか。

 そしてこの本の最も欺瞞的なところは、バクシーシ山下が自らのビデオのこれほどまでの暴力性をまったく書いていないことです。「嫌々がまんしながらしょうがなくするセックスもある」とバクシーシは書いていますが、拒否しているにもかかわらず暴力で強いられるセックスとは性犯罪そのものに他なりません。彼は凄まじい暴力性を包み隠しているのです。

 このように私たちはこの本が読者である子どもたちに対して、その深刻な暴力を覆い隠した上で、バクシーシ山下のAVに対する関心をかきたてていること、そしてそれを実際に見ることにより心身に重大な被害を生じさせる、現実的な危険性をもっていることに最大の問題があると考えます。

 それに加えて、私たちが大きく問題にしたいのは、この本が理論社のシリーズの中の一冊として出版されたことです。理論社は、良質な児童書を出版しているという定評のある、”児童文学の老舗”でありました。「理論社の本ならば」という信頼が、社会にも親たちの中にも存在します。首都圏の図書館をあたってみたところ、理論社のシリーズの中の一冊として内容の吟味のないままに置かれていると思われる所も少なくありませんでした。親たちも理論社の本という安心感から見過ごすこともあろうと思われます。

 理論社は、その信頼ある歴史ゆえに、この本を出版したことによって、バクシーシ山下という性暴力ビデオの監督がしてきたことに、結果的に正当性を与えているともいえます。そして、単行本として内容を吟味されれば親や図書館から購入を拒絶される可能性のあるものを、シリーズの中の一冊に加え、さらには理論社への読者の信頼を通じて流布させてきました。これは理論社の児童書を愛してきた読者の信頼をも裏切るもので、理論社の責任は大変大きいと考えます。

 女性支援の現場には、性暴力によって受けた傷を長い長い歳月にわたって抱え、苦しんでいる女性たちがいます。また、アダルトビデオが家庭内での性暴力に使われ、AVの映像と同じような性行為を強要され、生命の危険にさらされて保護される女性たちも後を絶ちません。こうした性被害の実態を見るにつけても、子どもたちに対等な性の豊かさを伝えなければならない、子どもたちを新たな被害者、また加害者にもしてはならないと強く訴えたいと思います。

 理論社が以上の問題に対する真摯な反省に基づき、『ひとはみな、ハダカになる。』を早急に回収するとともに絶版にすることを求めます。

理論社社長  下向 実 殿

呼びかけ団体  全国婦人保護施設等連絡協議会民営施設長会
(要請書代表世話人)
社会福祉法人 恩賜財団東京都同胞援護会 いこいの家  施設長 田口 道子
社会福祉法人 ベテスダ奉仕女母の家 いずみ寮 施設長 横田千代子
社会福祉法人 慈愛会 慈愛寮 施設長 細金 和子
社会福祉法人 救世軍社会事業団 東京都新生寮 施設長 高橋 真澄
社会福祉法人 救世軍社会事業団 救世軍婦人寮 施設長 伊藤 和穂