ポルノ被害の問題に本格的に取り組むためにまず最初に必要なのは、この問題に対する見方を転換することです。ドメスティック・バイオレンスが人権問題となったのは、単なる「夫婦喧嘩」という従来の見方から、家庭内の権力関係にもとづいた暴力の問題へと見方が転換されたからです。同じような「視点の転換」がポルノ問題でも必要です。

 ポルノは従来、「わいせつ」という道徳的枠組みでとらえられるか、あるいは、「表現の自由」というリベラリズムの枠組みでとらえられるかのどちらかでした。この2つの主要な「古い視点」からの転換が必要です。

わいせつ概念の限界

 日本でも世界でも、ポルノの問題に対しては「わいせつ」という概念にもとづいて、その公然陳列や頒布が刑法上の処罰対象とされています。実際には、現在のポルノ産業の大隆盛を見てもわかるように、この法律はほとんど機能していません。そして、それはしばしば恣意的に運用されるため、「表現の自由」の侵害であるとの批判がなされています。

 真の問題は、ポルノが「わいせつ」かどうかではありません。つまり、性器が見えているかどうかや、卑猥さや、性道徳や性秩序が問題になっているのではありません。ポルノの制作、流通、消費、社会的蔓延を通じて現実にさまざまな被害と人権侵害が発生していることが問題なのです。

 また、子どもポルノの問題に見られるように、「わいせつ」概念は、ポルノ規制の根拠として的外れであるだけでなく、何を規制の対象とするのかの基準をも的外れなものにします。

「表現の自由」の問題ではない

 ポルノはまた、単なる「表現の自由」の問題でもありません。ポルノは、その制作と流通から始まって、その消費、社会的流布にいたるまで、具体的な被害者を多数生み出している人権問題です。そこでは、具体的な生身の被害者がいるのです。

 すでに明らかにした「制作被害」では、実際にレイプされ、殴られ、蹴られ、ゲロを吐きかけられ、拷問され、罵声を浴びせられている被害者がいます。そして騙されたり脅されたりして、ポルノに出演させられている被害者がいます。

 「流通被害」では、自分の性的被害や性的プライバシーが一方的に公開され、娯楽とされ、物笑いの種とされている被害者がいます。「消費被害」では、ポルノを日々押しつけられ、またポルノによって影響された人物によって実際にレイプされ、セクハラされる被害者、大人によって性的に扱われる子どもの被害者がいます。

 「社会的被害」では、性差別的な内容の性的写真や絵を見せつけられ、女性ないし同性愛者ないし性転換者としての性的尊厳を傷つけられ、その平等な地位を侵害される被害者がいます。「存在被害」では、日々、恐怖と恥辱に耐えながら生きている被害者がいます。

 これらはすべて単なる「表現」ではなく、生きた人間に対して起こっている具体的な被害であり、具体的な被害者です。このような具体的被害が存在するかぎり、その被害を防止し、被害者を救済する取り組みが必要になります。そのためには、そうした被害を被害として認識するための適切な人権概念が必要になります。 

「性的人権」への視点の転換

 では、具体的にどのような人権概念が、どのような「性的人権」概念が必要なのでしょうか? 私たちは、「性的人格権」と「性的平等権」という2つの新しい人権概念を提唱しています。これらの人権概念は、ポルノ被害に対処しうるだけでなく、他のあらゆる性暴力被害にも適切に対処しうる基本的な「性的人権」概念です。

 まず「性的人格権」とは、性的なものが人の人格や尊厳の核心に位置しているという考えにもとづいています。レイプが許しがたい犯罪なのは、貞操が侵害されたからでしょうか? それとも、未払いの性労働だからでしょうか? いえ違います。その人の性的な人格性と尊厳が深く傷つけられ、蹂躙されたからです。

 また、レイプは女性という社会集団を性的に従属させ支配する行為でもあります。そこで侵害されたのは、女性という集団が平等な人間として扱われる権利です。私たちはこれを「性的平等権」と呼んでいます。

 ポルノ被害においても、被害者はこの2つの権利を侵害されています。まず、被害者は、個人としてその性的人格権が侵害され、女性という集団の一員としてその性的平等権が侵害されています。

 社会的な性的平等とすべての人々の性的人格の尊重という観点から、教育啓発の推進、法の整備、被害者への支援体制づくり、加害者の再教育と更生などの総合的な対策に取り組む必要があります。

1、「わいせつ」から「性的人権」への視点の転換

2、人権的性教育の推進

3、ポルノ被害防止法の制定

4、被害者のケアと支援の体制づくり

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